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Seigo Sakamoto JSC
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坂本誠吾 JSC


「撮影部としての提言」フィルムのあり方について憂慮すること


2014年9月1日、イマジカ五反田が本年度中のネガ現像の終了を発表しました。
世の中としては、「もうしかたがない、これも時代の流れ。」といった風潮なのでしょうか。さほど大きな反対論議もなく、まるで当然のごとく流されて行くように見えるこの事案・・

私はこの事に対しての、世の中の撮影部を始めとした映像制作者の反応の少なさ、少なくとも私にはその様に見えることに多いに憂慮しています。
そして撮影部としてのスタンスを明確にし、文書にすべく提言としてここに記したいと考えました。


まず第一に私自身はフィルムは大好きでもデジタルをまったく否定しているわけではありません。
世の中にコンピュータが出てきた当初より、その発展的素晴らしさに魅了され続け、あらゆるデジタルに対して動向を見守り研究し、映像に至ってはこれを使いこなすべく努力して来ました。

しかしながら、昨今のデジタル一辺倒の映像制作に対する考え方に大きな違和感を感じざるをえず、ここに憂慮する事態に至ったのです。

日本の文化芸術としての映像制作の一端を担う私たち撮影者は、その撮影現場において大きなイニシアチブを取って然るべきと思います。
現場でカメラを使い撮影しているのは我々撮影者です。撮影者はあらゆる技術を使って視覚化する術を知っている技術者集団です。
もちろんこれに至っては、映像制作者がプライドを持ってその映像制作に従事していることは言うまでもありません。

昨今、誰でもスイッチを入れたら画を写すことが出来る多くのデジタルカメラが出現した結果、プロとアマの境界線が曖昧になったのは、何もムービーの世界に限ったことではありません。
デジタルは確かに映像制作にスピードをもたらしました。リアルタイムで映像を確認できる便利さはそれまでの考えを一新したかのように、多くの映像制作者が飛びついたのは当然のことです。

撮影現場では各部署に配置された多数のモニターにより、誰でもが今そのショットを見て思いを口に出せる状況が生まれました。
つまり多くの人々がその瞬間にその映像に関与することが出来るようになりましたが、これはもはや撮影者は単なるオペレーターと化すことへと進めてしまったように思えてなりません。

また、これらのデジタル化はフィルムカメラを扱えない多くの撮影助手を作り出していることも事実です。
そればかりかフィルムを知らない制作スタッフはさらに多く存在していて、実際にフィルムのワークフローを知らないプロダクションは数限りなく存在し、フィルム撮影に対するネガティブな風潮さえあるのも事実でしょう。

一見、ムービーを写せるカメラとコンピューターさえあれば映像が作れるという考え方は、実は撮ることと映像を創ることとはまったくの別物であるという観点が抜け落ちています。

映像を創る事への技や知識はフィルムであってもデジタルであっても同じはずです。
ところが偏った知識によってデジタル一辺倒になる事には大いに危惧するところです。
フィルムであってもデジタルであっても、それは撮影者にとっては同等な媒体(メディア)であって然るべきです。つまり選ぶ権利を放棄してはならないということです。

フィルムに至っての100年間の歴史と、この日本の文化芸術を担ってきた映像世界を簡単に手放してもいいものでしょうか。
フィルム、そして撮影者と現像所は一心同体となって今までの映像文化を担ってきたはずです。

2年前のフジフィルムによるフィルム製造業からの撤退は衝撃的でもありました。
そして続く今回のイマジカ五反田の発表に対しては、日本の文化芸術の一端を担う企業による将来に渡っての判断に、私たち撮影者は大いに警笛を鳴らすべきと考えます。
もちろんこのことは単に企業の問題だけではありません。私たち自身、撮影者として文化芸術を担っている責任から逃れてはならないと考えます。

そして上記判断による影響は計り知れないことを改めて認識する必要もあります。これは言うまでもなくデジタル化への加速です。

このことによるフィルム撮影技術の伝承の危うさへの加速です。

我々フィルム撮影のノウハウを知っている者による次世代への伝承は、教育機関のみならず現場においても明確に伝える義務を感じます。

もちろんこれは現在でもいくつかの大学はじめ映画学校においてフィルムカリキュラムが組まれているのは事実ですし、日本映画撮影監督協会において主催されている撮影助手育成塾での実践的フィルム教育があることも事実ですが、世の中に対してもっと大きく取り上げて正しく評価されるべきです。

そしてこれ以上に問題となっているのはプロダクションはじめ映像制作者全般、さらには一般社会への映像制作に関する正しい知識と伝達が足りていないことです。
この中の映像制作プロダクションに対してのフィルム撮影に関する正しい知識を伝授することも、撮影者としての義務ではないのでしょうか。

そのためにはワークショップやセミナーなどの場を多数開催して、伝承及び情報発信をしていく必要性が大いにあると考えます。

最近作られている映画作品にフィルム撮影されたものが数多くあるのにもかかわらず、一般的にはまるでそのことが伝わらない現状があり、映像制作者であってもそのこと自体を知らないことは、正しい知識の習得や情報伝達がなされていないからではないのでしょうか。

先月、アメリカでは監督のクリストファー・ノーラン、J・J・エイブラムス、クエンティン・タランティーノを初めとした著名な監督達が、撮影所に対してのフィルム撮影を推し進める行動を取ったとのニュースは記憶に新しい事でしょう。

私たち撮影者も何らかの形で、声をあげて撮影者としてのスタンスを表明する時期が来ていると思ってなりません。

一度手放してしまった匠の技を、いざ必要としても時遅かれしとさせないためにも、環境をはじめとしたハードも技術者としてのノウハウであるソフトも維持していかなければならないと切に思うばかりです。


この事案に関しての多くの映像制作者、特に撮影関係者の賛同を期待しますが、同意不同意いろいろなご意見があるかと思います。
賛同して頂ける皆様もそうでない皆様もメッセージやコメントなど幅広く受け付けたいと考えます。
また私の狭い範囲でのFB繋がりだけでなく、多くの映像制作者、撮影部の方々とシェアして頂ける様に御協力もお願い致します。

この第1草稿は現状をまとめるために記しましたが、今後、考え方や方向性そして具体的な伝承の方法論など含めて改めて記載していきたいと考えています。

撮影監督 坂本誠吾JSC
2014年9月11日
注釈:この記事は上記日時に私のFacebook「ノート」に記載したものです。
http://www.facebook.com/seigosakamoto


追記:

イマジカ五反田でのネガ現終了の件に関して、イマジカウエストに移管されるだけだから問題ないとの楽観論があるようです。
では東京ベースで撮影をしている場合イマジカを利用するとして、どうやって未現像のネガを大阪まで運びますか?そのリスクはどのように取りますか?そしてその移動による時間的ロスはどれほどになりますか?

東京でネガ現像したければ他を利用すればいいだけであり、私が問題にしているのはこのことではありません。

東京の大手現像場の一カ所が無くなることは、加速度的にデジタル化が進むと言うことです。

これによるフィルム撮影の技術の伝承に大きな影響をあたえることこそが問題なのです。





「撮影部としての提言」おかげさまでFacebookでのシェアは150を超えました。
ここにシェアと共に頂いたコメントの一部(順不同)をまとめました。

撮影監督 坂本誠吾JSC
2014年9月14日
(2014年9月15日、コメント追加)
(2014年9月18日、コメント追加)



星野 惠介さん
映像制作やクリエイティブな業務に就いていない、ごく一般の人たちにも読んでいただきたい内容だと思います。
デジタル技術の広がりによって失われる伝統的な芸術感、技術、その価値感について、私たちは知っておく必要があると思うからです。
たとえば印刷業界に於いては、写真植字の職人はその職業そのものが滅んでしまいました。ごく一部の人は、コンピュータでタイピングして出力した文字には到底かなわない、写植文字や活字にしか出せない美しさがあることを知っています。この文中にある、カメラマン=撮影者という技術者、クリエイターとは言いがたい、単に機械を操るオペレータが増殖しているのと同様、自称デザイナーを名乗るオペレータも蔓延しているのです。
機械や道具がデザインをしてくれる訳ではないから。
撮影者という職人、クリエイターとしての自負に満ちていると同時に、非常に理性的、知的な文章であり、また世の中に存在するテクノロジーに広く当てはまるという意味でも素晴らしい提言だと感じ、シェアさせてもらいました。

秋保 強さん
たぶん、こんな感想いうのは、写真や映像を扱っている人にはないのだろうけど…
抹茶の原料になるてん茶工場の燃料が薪から石炭、コークスを経て重油と変わった話を思い出した。
「薪でないと出ない味があったんじゃないか?無くしてよかったんだろうか?」
キッカケになった茶問屋さんのつぶやきを思い出した。

松岡 誠太朗さん
材料一つにとっても違いというのはあると思います。それが理論的に説明されていれば、まだ良いのですが、経済的などの理由によって安易な方向へ進んでしまった弊害なんでしょうね。ただ、製茶はまだ個人レベルで少量しかできないかもしれませんが、復活の見込みはあると思います。その点フィルム(ゼラチン ベース)は企業が作っているもんですから、そこから手を引かれたらもうアウトです(いまのところ完全に撤退ということはないですが)。
余談ですが、似たような話で中国の焼き物も薪から石炭、そしてガスに移行して一般に出回る焼き物は量産できるようになりました、質そのもは落ちてしまいました。

鳥井 邦男さん
「安易」に「無能」に進むのが普通になってはいけないです。シェアーさせて頂きます。

蓮井 幹生さん
スティールの写真の業界はムービー以上にデジタルです。この流れは加速しているというよりも、広告の撮影をフィルムですること自体がほとんどないという現状です。ぼくはフィルムもデジタルも両方あるべきだと感じていますが、コスト優先の今の業界では難しくなっています。コストを第一にするという考え方は映像の魂を売っているということに繋がっていきます。技術ではなく撮影眼が求められる時代だからこそ、選択肢をなくしてはならないです。ぼくはこの意見に賛同します。

井之上 伸也さん
かなりの問題だ。考えないといけない問題です。

小澤 雅之さん
まったくその通りだと思います。フィルムの経験や技術が継承されていない事による技術の低下は日本では10年以上前からおきています。知らない人達が集まれば知らない事は問題にもなりませんし危惧する空気すらないのも現実です。デジタル化が進むなかでハードもソフトもまだフィルムルベルには達していません。撮影の工夫によってはフィルムルベルに近づける事は可能ですが、その為にはフィルムの経験値が必要です。少数ですが若いスタッフの中にも理解している人がいるので是非フィルムを残して技術を継承し、高めていってほしいと思います。

江戸 洋史さん
フィルム、デジタルということよりも何を撮るかじゃなくてなんで撮るかがメインになりすぎているような気がするのは・・気のせいでしょうか?撮影部もそうですが演出部も現場で全く演出しない監督もちらほらという状況ではこのさきどうなるのか・・・?

西村 忠さん
フィルムと絵の具は同等だと思う。

八木田 真史さん
撮影監督・坂本誠吾さんによる提言に賛同し、シェアいたします。
少なくとも、写真を学ぶ人はフィルムカメラを扱い、現像などの過程を学ぶことができるようになっていますが、ムービーはどうでしょう。
ニーズが減れば簡単に滅びる、それを善しとするならば、日本の伝統工芸も同じこととなってしまうのではないでしょうか。

三崎 雅登さん
ちょっと・・・
個人的には京都から東洋現像所が無くなった時と同じ感覚があります。
選択肢を減らされた其の後の京都での映画産業がどのようになったかというのを見れば、フイルムを使用する撮影者の今後がどのようになっていくかがわかる様な気がします。
何を今更とも思いますが問うてみよう。
撮影者の皆様、普段フイルムで撮ってますか?
きっと其の答えが今後の結果に繋がる鍵の一つだと思います。

赤城 耕一さん
映像におけるデジタルフィルム云々の話で、イマジカが映画用のフィルムネガ現像をやめますと。またかあという感じはするが、それとは違う箇所でひっかかるわけ。
グラフ誌の仕事していたころは、多くの映画の撮影現場に行ったので、制作の流れがよく理解できた。監督は絶対だから、まわりでモニターみてあれこれ意見言うなんてことはなかったんだけど。もちろん広告だと話は違うんだろうけど。
もちろん写真でもポラをみて、本番撮るまで検討したけどね。もちろんいまのスタジオ撮影はテザー撮影するのが普通。ま、カメラマンがオペレーターになったとまでは言いませんが。

北原 徹さん
自分もほとんどデジタルカメラになってしまっているけれども、やはり、フィルムカメラでの撮影はフォトグラファーの尊厳であると思う。撮影時にモニターでスタッフが見て、"あーでもないこーでもない"という現場。ぼくは編集者としてフォトグラファーと向き合う立場としても、フォトグラファーとして他のスタッフと向き合う立場としても、好きではない。編集者としてはフォトグラファーにすべてを任せたい。自分はそういうフォトグラファーに仕事をお願いしているという”自信”がある。そして、フォトグラファーとしてもスタッフに一任されるだけの存在でありたいと思っている。
ここには、時代の流れでは済まされない、フォトグラファーの生き方が書かれているのでシェアさせていただきます。

岩本 光弘さん
一企業がフィルム表現・文化を背負っていくことが難しいんでしょうね。税金投入か、と言っても優先順位としてはかなり低い。一作品ごとのファンドもよろしいですが現像所、撮影所、劇場を支えるファンドがあってもいいかもしれませんね。

黒川 礼人さん
まずは企画、それに綿密なものづくりをどうしていくか。デジタル化でも出来ることを忘れてしまったハートを実践すべきとの事だと思います。

植村 好雄さん
現場を離れた人間ですが、すごく寂しいですね。
ネガ編集から勉強してきたものが“無”になりそうです。

小林 一平さん
フィルム時代の終わりはこれから何を意味するかって考える。
フィルムからデジタルと言うだけではない 大きな製作過程や諸々の問題でもある。

高橋 由季さん
私は撮影者ではないけれど、
フィルム撮影の現場にいたことはある。
「技術」というものが失われてしまうということ、そこには常に懐疑的な視点があるべき。 今は亡き、新藤監督の記憶に寄せて。

丸山 貴司さん
長いことフィルム触ってませんね。
でも、フィルムにはフィルムの良さ。
デジタルにはデジタルの良さがあると思います。
表現手段の一つとして、選べる環境があれば、いいですよね。
ただ、フィルムで育てられた身としては、やはり寂しいですね。

清水 隆利さん
済フィルムの移動リスクが本当にネック。

石岡 正人さん
フィルム撮影技術の伝承!フィルム作品からの伝承を忘れるとデジタルはただの道具になってしまう気がする。

松本 豪さん
僕もフイルムの価値を信じています。



以上、一部ではありますがまとめさせて頂きました。
ありがとうございました。


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